『クスリ凸凹旅日誌』▶13話:大キレットって何?

2014年9月6日~13日
北アルプス槍ヶ岳から大キレット経由
奥穂高岳

 いよいよ大キレットである。キレットとはガレットのように食べれるわけではなく、キットカットのように甘くもない。英語ではなく切戸と書く。日本語である。岩でできた刀の刃のような稜線が大きく抉れているところをキレットという。
 我が国最大のキレットは北アルプスの槍ヶ岳から北穂高岳までの間にある大キレットである。ボクたちが最初に北アルプスに足を踏み入れたのは1995年。家族登山であった。娘は小学校5年生。我々は41歳の時だ。それから再び北アルプスに足を踏み入れるのは十数年後で、その間、子育てや仕事に没頭していた。
 全く山に行かなかったわけではなく、北海道の日帰り登山は楽しんでいた。北海道と北アルプスの山の一番の違いは、北海道の山は火山や土壌が盛り上がって山になった感じ。北アルプスは岩山である。人によっては女性的な北海道と男性的なアルプスとかいうが、岩のような女性もいるのでボクはこの表現に与しない。


 雑誌PEAKSの岩山特集で掲載されていた危険な岩山番付によると、大キレットは東大関だ。図の黄色いマークの所が我々の登ったところで、結構危ない山も登ってきた。
 中でも左の横綱である剱岳別山尾根を2年前に登っていたボクたちは少し自信をつけていたのかもしれない。それまでノーマーク(少なくともボクは)であった大キレットへの挑戦の気持ちが芽生えていた。ちなみに東の横綱「西穂高岳から奥穂高岳」の区間は最難関箇所で行く可能性はゼロ。生まれ変わってもボクは行くことはない。東西横綱のレベル差は東横綱が大鵬であれば、西の横綱は柏戸ぐらいの差になる。(分かるかなぁ? この違い) 
 ボクたちのルートは上高地から槍沢沿いに槍ヶ岳に登り、北側から大キレットを縦走して南側の北穂高岳、そしてその先の前穂高岳までの予定であった。一番最初に娘と行った時、槍ヶ岳は小雨が降っていて登頂を断念した。 今回初めて登頂して想像以上に怖かった。あの時、無理せずに登頂を断念した判断は正しかったと思った。
 頂上直下の槍岳山荘で昼食をとって、好天だったので次の南岳小屋まで歩を進めることができた。ここで一泊し、いよいよ大キレット縦走である。

 大きなV字の岩山の切れ込みなのだが、その落差は約300mでさらに底にはギザギザのピークが2ヶ所ある。それが「長谷川ピーク」と「飛騨泣き」と呼ばれる大キレットの2大核心部である。
 長谷川ピークは昭和20年代頃、大学生がここで滑落し、奇跡的に救出された場所だそうで、その人の名前が地名由来となっている。
 飛騨泣きは稜線が刀の刃先の上を歩くような感じで、左足は信州側(長野県)、右足は飛騨側(岐阜県)を跨ぐ感じのところで、特に飛騨側は岩から垂直に最大500mぐらいの落差に切れ込んでいる。思わず泣いてしまう「飛騨泣き」なのだ。
 危険要因は二つ。一つは滑落である。足が恐怖ですくんだり、ボクたちみたいな中高年は平地でもたまに躓くのに、こんなところで躓くと取り返しがつかない。二つ目は落石である。約300mぐらいを上ったり下りたり繰り返すので、岩場の落石も命取り。
 予防策も二つ。一つは「三点支持」という岩場の登坂技術。これは経験と練習で徐々に身についてくるものだ。二つ目はヘルメット着用。上から落ちてきた石が当たった経験はないが、岩場を登っていくと角度が急になると登ってる 頭上の岩に気がつかないことが多い。これが結構ヘルメットの傷となって残っている。


 ボクたちは天候に恵まれていた。雨が降っていたらまずだめだ。ボクは高所恐怖症ではないが、当日は適度に雲があり、眼下の風景が雲であまり見通せなかったので恐怖感に苛まれることがなかった。約5時間近くかかり、最後の急登をよじ登り、北穂高岳山頂に着いた。
 昇り降りしてる間、何か考えていたかというと思い出せない。きっと無心に近い状況だったのかもしれない。北穂高岳に着いた時もやったという達成感があったわけでもない。ただホッとした。
 お昼ご飯を食べて更なる連なりの涸沢岳を経由して穂高山荘が二日目の山小屋であった。しかし、この北穂高岳から穂高山荘までの間が大キレットより怖かった。あまり鎖もなく、岩場の急斜面をフリークライミングで降りていかなければならない箇所など息を抜けない。山の事故の多くは危険箇所で注意喚起されている場所より、そういう所を通過した後、ふと気が抜けた時、滑落したりする。


 計画は山中3泊4日。北アルプスの主峰をつないだ縦走でボクたちの登山史上、間違いなくハイライトであった。この計画は連れが作った。登山は連れがいなければこのレベルには至らない。ボクは連れに登らさせていただいたというおもいが強い。しかし海外旅行に関しては、連れはボクを頼りにしていて、海外では謙虚である。持ちつ持たれつ。一勝一敗、五分である。 
 さてこの山行は計画通りには終わらなかった。翌朝、山小屋を出発し、奥穂高岳山頂に立った。しかし前穂高岳にはいかずボクたちはそこから引き返しザイデングラートというルートを使って上高地に下山した。
 これはボクが前穂高岳に行くのを拒否したことによる。予兆は登山口の上高地のビジターセンターに掲げられていた登山事故の状況を示す案内板にあった。ボクたちのルート上では大キレットでも何箇所かあったが一番事故が密集していたのが奥穂高岳から前穂高岳にいたる吊尾根と呼ばれる箇所であった。その事が頭の片隅に残っていて、ボクはどうしても前穂高岳には行きたくなかった。連れにお願いして無理を聞いてもらった。我儘ではない素直なヒロちゃんにしては珍しいことだった。
 ボクは思った。この難関をすべてこなすのは出来過ぎである。槍に登り、大キレットを縦走し、奥穂高岳の頂上に立てば満願ではないか。 人間、体も心も健やかに生きるのには腹八分目がいい塩梅である。二分は次回に残しておく。それがボクたちを見守ってくれた神様、仏様、ご先祖様への礼儀。連れがその事を理解してくれたかは分からない。ただ大キレットの話をするといつもこのことを責められる。できれば大キレットの話は避けたいのだが、話さずにはいられないほどボクにとっても偉業で自慢のことなのである。
 そのことがちょっと辛い。